アイドル育成ゲーム?

 

こんにちは。とっても久しぶりのみなみです。卒論を書き始めたり資格の勉強をしなきゃいけなかったりと、やること山積みのくせにTikTokを見て一日を無駄にする日々を送っています。

そんな私が書く今回のテーマは「かわいいVS美しい」と「コンテンツとしてのアイドル」の二本立てです!

今回も『アイドル国富論』の第二章「アイドルの消費論」を読んでの感想と共に考えていきたいと思います。それではスタート!

 

ここでは産業構造論では説明不可能なものとして残された「アイドル」を歓迎した消費市場の心理について論じられています。

 

最初は「かわいいVS美しい」

 

アイドルを見て思う「かわいい」という言葉について。

容姿における「実力」である「美しい」という言葉との対比においてアイドルの特徴といえば「かわいい」という言葉です。

そりゃ顔面が美しいアイドルもいれば、所作が美しいアイドルもいて、歌声とかパフォーマンスが美しいアイドルもいるかと思いますが、圧倒的にアイドルに使われる言葉は「かわいい」だと思います。

 

「美しい顔」について、美学の世界においては二つの有力説があります。「平均顔」説と「黄金比」説。どちらにも共通しているのが「美しい」には一つのプロトタイプがあるということです。

それに対して、様々なアンバランスな特徴がある「かわいい顔」は、美のプロトタイプからの逸脱を意味しています。

完全であることを志向する「美しい」と対比して、「かわいい」が不完全なものを指示しているといえます。

 

そして、「かわいい」に対して抱いているイメージアンケート(カッコ内は「美しい」についてのイメージ)は、以下のようになっています。

近寄りやすい(近寄り難い)

子供っぽい(大人の成熟)

日常的(現実から離れたところにある)

不完全なところがある(完璧で手のつけようがない)

自分が愛することがまだ可能だと思える(愛せる・愛せないと無関係に感動的なものとして存在している)

 

以上の、かわいいと美しいの対比に関して筆者は、“ここから、「美しい」はしばしば触れることの禁忌と不可能性と結びついているが、「かわいい」は人として触れたい、庇護してあげたいという欲求を引き起こす。” と論じています。

 

なんだか「かわいい〜😭かわいい〜😭」と毎日のように発してるオタクからすると耳を塞ぎたくなるようなことを論じられてますね…

「かわいい😭🥰」と思うことはただただ愛おしい、愛でたい、みたいな気持ちだと思ってたけどそれを生々しく表現すると「庇護したい」みたいになっちゃうんですね。つらい。いや、つらい(笑)。

けどまあ間違ってないなと思います。不完全なところもいい!応援したい!一生つらい思いなんてせずに暮らしてほしい!この子の周りが平和でありますように…と(まではいかなくても)思うことは「庇護したい」という表現にもなるのかな。そんな言い方しないでよ…ぐすん…みたいになるけどねこちとら。

 

そして、そんな「かわいい」の話と少し繋がるお話が続きます。

ここから「コンテンツとしてのアイドル」です。

 

昔から、消費社会の進展や生活の多様化といった時代の環境の中での「仲間」の形成は、他愛もないコミュニケーションから始まっていました。

ここで最も使いやすいのがマスメディア、特にテレビが提供する娯楽コンテンツの話で「アイドル」はマスコミが提供する中でも有用なもののひとつだったと考えられています。

 

昔からアイドルは、仲間内でコミュニケーションを取る上でちょうどいいコンテンツだったってことですね。テレビに出てるから色んな人と共通の話が出来る様になるし、出てないアイドルが居たとしてもそれはそれで話になるし、昔から便利なツールだったんだなぁ。

そしてそんなコミュニケーションから「仲間」との「ゲーム」が生み出されていきました。

ちょっとここから、推しがいる方は当てはまるかな〜って考えながら見てみてください。全部で3つの段階があります。

 

①見出すゲーム

「誰が売れるか」を人よりも早く見つけるというゲーム。多数の関心対象になるものを早く見出すことができることが、社会的能力として認められるようになったことにも対応している。

“単にテレビ画面の上で展開される内容を追うだけでなく、自分の目利き力で誰が売れるかを判断するゲームが成立し得た”

 

ここで、社会的なコミュニティに属している人たちは「誰が売れるか」を人よりも早く見つけることで自分の目利き力や、多数の関心対象になるものをいち早く見出すことができるんだ!という社会的能力を測ることができたんじゃないかなと思います。

 

②支えるゲーム

ベストテン番組に何通もハガキ投票をするような明示的にだれかを応援することから生じる、アイドルを自分が「支える」という実感、ファンの間での共感を楽しむ行為一般を指す。

「選ぶ」という行為で消費者自身が主役になる感覚の延長上にある。消費者でありながら「人気アイドル」の生産者になった感覚を味わうということもできる。

 

“同じアイドルを好きな者どうしの「仲間」形成という最も単純な意味を持つ以外に、他の個人やグループとどちらの推すアイドルがよりいい成績を残すかという競争のゲームにも転用が可能”

“自分が見出したアイドル(の卵)をトップアイドルにするというゲームだと考えれば「見出すゲーム」の第二段階ともいえる。”

 

消費者でありながら「人気アイドル」の生産者(錯覚)になることができ、どちらの推すアイドルがよりいい成績を残すかという競争にもなるということで、アイドルを駒にして仲間内で競争していたとも考えられます。

 

③育てるゲーム

アイドルは若年の素人であるがゆえに、成長という名の変化を不可避的に遂げていく。これを見守るファンの視点は、自分がアイドルよりも「上」であるという幻想の中で、単に「支持する」というものを超えて、アイドルを指導する気分になっていく。

 

“ファンとしての視線と、批評家としての視線が交わるところに、この「育てるゲーム」が発生します。そしてこれは「支持するゲーム」の延長であると同時に、この「批評家の視線」の発生が「見出すゲーム」の基盤ともなっているという相互関係にあるわけです。”

 

自分がアイドルよりも「上」であるという気持ちで支持しているからこそ生まれる「批評家の視線」から、自分がアイドルを指導していると錯覚して楽しんでいるんだと思います。

 

 

……つらい(頭抱え)そんな言い方しなくたっていいじゃん!!!(自分に重ねてこの文章を読み返したオタクの嘆き)

 

でも冷静になって考えると、「強すぎる魅力は支持する気にもならない」「自分が支えてあげなくてはと思わないと!」ということから、不完全で未熟で身近な「かわいい」アイドルだからこの3つのゲームは成り立つんだろうな。

 

“だからこそ、アイドルは「かわいい」ものでなくてはいけないのです。”

この筆者の言葉が胸に響きます…。

 

現に、最近もオーディション番組から結成されてデビューしたグループがあったと思います。101人の候補生の中からルックスや歌・ダンス、テレビ放送や配信での練習生の合宿風景とかレベル分けテストを見て、国民が投票し、多くの投票を受けたメンバーがデビューできるやつです。みんな知ってるアレです。

 

いやもうほんとはこんな論理立てて考えたくないけどさ、

・101人の中から自分の推しを決める

⋯①見出すゲーム

・毎日推しに投票する

⋯②支えるゲーム

・デビューしてから様々な形で応援する

⋯③育てるゲーム

ってちゃんとこういう風になってるんだなと気付きました。

 

1コンテンツとして、こちら側が消費者として、あっち側は消費対象として見たらそりゃゲームなのかもしれないなってたしかに思うけど、わたしは全然ゲームだと思ってないし多分わたしの周りのみんなも思ってないと思うな〜!

自分の中では娯楽だからコンテンツとしてアイドルを捉えてるかもしれないけど、いくら消費対象になるエンターテイメント界のアイドルだとしてもアイドルも人間だからね〜。ちょっと引っかかる部分はある…けど消費論的にこういう書き方するのも、論理付けるのもアイドルが存在し続けるために必要なものなんだと思いました。

 

しかもこちら(消費者)側はなんかな〜って思ってるかもしれないけど、アイドル運営側は会社であって商売であるので、こういうゲームに乗っ取った戦略を取ったりとか、応援させたい!って思わせるアイドルの卵を意図的に活動させてたりするんだろうなとも思います。

戦略立てて勝ったもん勝ちだよね!

 

推しにはちゃんと人間としての権利があってほしいなとも、大人たちちゃんと守っててくれよとも思うな〜っていう本題とはあんまり関係ない話で締めます(笑)。

 

ここまで読んでくれてありがとうございました!そろそろ卒論の中間発表あるんだけど無理すぎて無理です。頑張ります。みんなも頑張ろう!それでは次回までさよなら!

 

 

 

 

 

アイドルとメディアについて考えてみる

 

昨日、二回目のコロナワクチン打ったら熱が上がっちゃってちょっとしんどいみなみです。五分に一回くらい、死ぬ?って思うくらいの動悸がきます。生きてます。

 

まあそんなこんなで今回は『アイドル国富論』の中から第一章「アイドルのメディア産業論」を読んで、気になった部分をまとめていきたいと思います。

この『アイドル国富論』は、筆者が「アイドル」と「日本経済」の歴史と現在をつなげることで、「変わらなかったもの」「日本社会が求めている経済と社会のかたち」を考える目的とされています。

 

今回は各単元をまとめつつ、世に溢れるアイドルグループとの比較もしていけたらな〜と思います。応用編ということですね!頑張ろう!まあ大目に見てください。

 

 

まず、確立された「アイドル」とはなにか。特に現代には「アイドル」と呼ばれる人が多くいるので、いちいち定義を改めて例外はアイドルではないとは言えないと思います。でも定義が曖昧になってしまっているので一旦、こういうタイプがあるよ〜という紹介をしています。ここで言う「アイドル」はどういうものなのかについてです。

 

ここでの「アイドル」の定義は、1970年代のステロタイプを指しています。その条件は、

①18歳まで(できれば10代半ばまで)にデビュー
②歌手である
③歌唱以外の様々な領域(テレビドラマ、バラエティ番組、映画作品等)でメディアをまたいで活躍している
④総じて目の覚めるような美貌や素晴らしい声と歌唱力、演技力といった実力に恵まれていない

というものです。

 

また、それに対して『アイドルの「プロトタイプ」とアイドルの大量生産』という単元の中では、「新三人娘」や「花の中三トリオ」の活躍は世間に「アイドルとはこういうものである」というプロトタイプを確立したと論じられています。

そのプロトタイプとは、

①ローティーンからミドルティーンの卵がテレビのオーディション番組などを経てアイドル「歌手」としてデビューする
②ベストテン番組を中心とした歌番組に出て認知を上げる
③ドラマ・映画やバラエティ番組などメディアを跨いで活動して人気アイドルとなる
④人気が消えないうちに大会場で引退コンサート、引退を果たせると理想的

というものです。

 

色々なアイドルがいますが、既存のグループでステロタイプとプロトタイプの比較をしてみようと思います。

 

スパドラ(某要らんだろ)をここでのアイドルの定義に当てはめるとすると、大々的にオーディションで選ばれ結成されたわけでもなければ、歌番組で認知を上げるような活動もしていないので、「ステロタイプ」に当てはまると思います。

 

①18歳まで(できれば10代半ばまで)にデビュー
→2015年に当時11歳(小学5年生)から16歳(高校2年生)の9人で結成され、CDデビューしている

②歌手である
→ダンス&ボーカルユニットである

③歌唱以外の様々な領域(テレビドラマ、バラエティ番組、映画作品等)でメディアをまたいで活躍している
→メンバーによって差はあるけど、バラエティ番組にレギュラー出演しているメンバーやテレビドラマ・映画で活躍しているメンバーもいる

④総じて目の覚めるような美貌や素晴らしい声と歌唱力、演技力といった実力に恵まれていない
→歌もダンスも上手だなぁとは思うけど、別に総じて目の覚めるようなレベルのものではない

 

プロトタイプはというと、ところどころだけどジャニーズとかの国民的アイドルって呼ばれるようなグループが当てはまっているのかな?と思います。例えば、2020年に活動休止した嵐で考えると、

 

①ローティーンからミドルティーンの卵がテレビのオーディション番組などを経てアイドル「歌手」としてデビューする

→ちょっと外れてるけど、ジャニーズJr.という存在があるのであながち間違ってはいないかなとも思う
②ベストテン番組を中心とした歌番組に出て認知を上げる

ミュージックステーションMUSIC DAY、FNS歌謡祭など大きな音楽番組には必ず出演している
③ドラマ・映画やバラエティ番組などメディアを跨いで活動して人気アイドルとなる

→ドラマや映画の主演を務めたり、冠番組を持っているメンバーもいる
④人気が消えないうちに大会場で引退コンサート、引退を果たせると理想的

→人気が消えないうちに、活動休止発表してコンサートを行った

 

まあまあ無理矢理な気もするけど、ステロタイプとプロトタイプで大きく分けるとこんな感じかなって思います。アイドル業界もいろいろ試してみてるんですね。

 

2つ目に、マーケティングとの関係。話ガラッと変わります。

一般消費者向け商品は、マーケティングと付加価値という両面からアイドルに接近しています。

マーケティングでは、消費者の関心を引くという点で、アイドルは新たに経済的な価値を与えられています。それは、著名なアイドルの顔はそれがそこにあるだけで消費者の商品認知を上げるからだとされています。

また、単なる宣伝だけでなくコレクションアイテム的価値を持てば商品そのものの付加価値として他の商品との差別化につながっていきます。

このようにしてアイドルがイメージキャラクターに起用される商品が増えていったと言われています。

 

認知度が高いアイドルグループのメンバーは、消費者の商品認知を上げる目的として起用されることがほとんどだと思います。これはアイドルを起用することで商品側に利益があるんですよね。

一方で、あまり認知度が高くないアイドルグループが起用される事例もあります。これはグループの一定数のファンを消費に結びつけると同時に、商品とのコラボレーションを利用してグループ自体の認知度を上げているようにも思えます。

 

アイドルのスイパラコラボなどは本当によく見かけるけど、そこではコラボメニューの販売(特典でランダムコースター)やオリジナルグッズの発売がされています。

それらを求めてお店に訪れるアイドルのファンが一定数いるのでお店側に利益はあるはず。けれど、それ以外にも偶然その期間にスイパラに来たお客さんはもちろんいるので、アイドルの存在をその人たちに示すことができるはずです。

あまり認知度が高くないアイドルグループが起用されると、お店側にもグループ側にも利益があるように考えられます。お互いにとってプラスになるお仕事なんて最高だなぁと思います。

 

これがメディア産業の目線から考えるアイドルと企業のコラボ、マーケティングというわけですね。難しいなぁ。

 

3つ目に、『「ファンとの共犯関係」の発見』について!興味深いタイトルすぎるな…(笑)。


オーディション番組というメディアを経てデビューするアイドルグループは、アイドルが出始めた頃から増え続けています。

けれど、メディアがアイドルを作れるというのはやや過剰な認識であって、正確には「アイドルの候補生を作れる」にすぎません。アイドルをアイドルたらしめているのは消費者自身の認識力、創造力なのではないかと論じられています。

メディア側は、無理に消費者と相性がいいアイドルを作るのではなくて、「アイドルの卵」をそのままの状態で提供して、その創造力でアイドルを作ってもらうという策略を「ファンとの共犯関係」とここでは表現しています。

 

例として、おニャン子クラブが挙げられています。おニャン子クラブのメンバーは「夕焼けニャンニャン」内のオーディションコーナーで採用されました。オーディションに合格した翌週には番組に登場していました。その姿は素人で、彼女らが少しずつ表舞台に慣れていく過程までがファンの消費対象になっていました。

また、「卒業」システム、ソロデビュー、派生ユニットなど今では当たり前の仕組みが導入されたのもおニャン子クラブがはじまりです。

 

『「アイドルの卵」をそのまま消費者に提供して、その創造力でアイドルを作ってもらう』というスタイルについて、スターダストプロモーションにはEBiDANという俳優集団があります。

グループに無所属、またはデビュー前の研究生のことをEBiDAN39Kidsと呼び、ブログや動画コンテンツでの活動もしています。この中から結成されたグループが次々にデビューしているので、EBiDAN39Kidsを「アイドルの卵」とするのであれば「ファンとの共犯関係」が作られているのだと思います。

それこそ、BATTLE BOYSとかもまさにそうだな〜と思います。だって「アイドルの卵」にバトルさせてるんだもん。ファンは推しに報われてほしいから投票とか出来る限りの応援はするし、そういうことを通してまた「アイドルの卵」がアイドルになっていくんだなぁと思います。

 

今後書いていくことに繋がるんだけど、「アイドルの卵」を提供することで、その「アイドルの卵」の間はデビューまでの下積み期間になるってことになると思うんです。その下積み期間をファンと共に歩んで共に闘うことが、アイドルをアイドルたらしめる要因にもなっているのかなって思います。下積みを知っているからこそ成功の重みが変わるというかね。そういうのって絶対あると思うから、未熟な状態から成長過程を見せていくのはすごく考えられた策略ですよね。

ここではアイドルと共に、ファンもアイドルを創っていくから共犯って表現がされてるんだろうね。

 

 

最後に、『異性消費市場と同性消費市場』について。同性と異性のファン、どうしたらどっちがつきやすいか問題です。


松田聖子が交際・破局宣言をした直後に婚約を発表し、結婚後も引退せず出産後も、アイドルソングを廃して実力派アーティストとして活動していることを例に挙げて、ファン層の違いについて論じられています。

女性アイドルのファンは男性であることが暗黙の前提とされていたが、松田聖子を支持したのは男性ファンではなかったように思えます。疑似恋愛の対象としての「アイドル」ではなく、自分がそうなりたい対象として見る女性ファンが松田聖子を支持していました。

それは、「女性が自らの強い意志で思い通り生きていく」というドラマを体現した存在だということが1つの理由とされています。異性消費市場を基盤としながらも、同性消費市場にも支えられるという二重の市場性がアイドルのあり方の基本になってきているようです。

 

上の例から、同性からの人気は「自分がそうなりたい」などの憧れや理想からくるものだと考えられます。“「女性が自らの強い意志で思い通り生きていく」というドラマを体現した存在”という表現からもわかるように、社会的な女性像とは反した振る舞いをしている姿に惹かれる女性が多かったのだと思います。


でも、現代の男性アイドルって社会的な男性像に反するというか最早かけ離れているような気がするんだけど、同性ファンが少ないのってなんでだろう。やっぱりそこでジェンダーロール的な見方が関わってくるのかなぁ。きっと現代の男性アイドルには疑似恋愛的要素を求めている異性ファンが多いと思います。

厳しい問題だよね…女性は社会的な女らしさを捨てた方が同性人気が出るけど、男性はそうしたところで同性人気は出ないんだもんな…。社会に求められているジェンダーロールと社会で生きている人たちの願望や要望、認識がズレているからなのかなとも思いますね!知らんけど!(責任逃れ)

 

アイドルってファンがいないと活動できないので、そもそも女性に支えられてるような時点で社会的な男らしさには当てはまらないから、同性ファンが少ないのかな?ただの予想です。

 

 

さて、メディア産業から見たアイドルについて論じられていたこの章だけど、それぞれあんまり答えが出なかったな〜って感じします。ぴえん。まあこの後に繋がっていくお話がたくさん出てきたな〜って感じなのでめげずに頑張ります!

 

そろそろガチで論文に取り組まなきゃいけないっぽいよ。やだな〜。

先日スパドラのライブ行ったので感想とか書きたいんですけど語彙力もないので迷い中です。○○なつよしくんかっこよかった。の箇条書きブログにしようかな。

 

今回もまとまらず拙い文読んでくれてありがとうございました!読んだよ〜って感想送ってくれるのまじ嬉しいのでなんか思ったことがあったら送ってください。嬉しいのでね。私の喜びのために。

 

ここまで5000字です!スゲェな…

では、熱もあることだしお昼寝しよかな!おやすみなさい。

 

お金を使うことも、ひとつの愛

 

こんにちは。しばらくぶりのみなみです。オリンピックも始まって感染者数も爆発してますが私は元気です。

 

今回は、ユリイカの男性アイドル特集から、『「推す」という隘路とその論理―愛について』を読んで、簡単なまとめと感想を書き残しておきます。隘路とか使ってるの初めて見たよ…

 

ここでは「推すこと」について、

①規範的性愛とその関係
②代替不可能性をめぐる問題
③「推し」とファンの関係のあり方
④道具化・客体化(消費)をめぐる問題
⑤金銭の介在
という5点から考え論じられています。

もう難しい単語ばっかりで意味わかんないですね。

今回はそれぞれのポイントから見た「推すこと」について簡単にまとめて感じたことを記そうと思います。

 

はじめに、「推す」ことを『ひとつの「愛」の形としてとらえる』という仕方で、「推す」という概念について考えます。

ここでの議論は「推す」ことについての考察が、われわれの愛や親密な関係のありようについて興味深い仕方で光を当ててくれる、と論じられています。

論文だから当たり前なのかもしれないけど、難しい書き方するよね〜(笑)。推すことについて考えると、他の多様な愛のかたちについても光を当てて考えられるってことだと思いますたぶん。

 

まずは、規範的性愛とその関係について。


「推している」「ファンである」ということは、「恋愛感情がある」「付き合いたい」「結婚したい」とイコールであると受け取られがちですが、必ずしもそうとは限りません。

 

『リア恋』という言葉が存在します。これは「推し」に恋愛感情を抱いていて、付き合いたいと思っているファンを指す言葉です。

このような言葉が生まれているということは、基本的に「推し」は「リアル」な「恋」の対象ではないという意味が表されています。

 

友人関係や恋人関係が形成されていく場面においても、自分の思いにある程度の説明をつけて、その対象に態度や行為をとっていくと思います。

この人好きだな〜と思ったら、相手にも好まれたいから優しくするとか、好かれるような態度を取るよね。でもその「好かれるような態度」ひとつ取っても、相手によって色々考えなきゃいけないことあるよねってことです。

 

これが人々の「愛」に関する在り方であって、それは誰かを「推す」と決める場合でも変わらないように思えます。

つまり「推す」ことは性や愛の多様性のひとつであり、個人の自由なんだと論じられています。

 

たしかに〜(笑)。自分は推しが何人かいるからわかることだと思うんだけど、前提として、どの人も大好きですよ。まずね。この推しとは付き合いたいけど、この推しは早く結婚してほしい。みたいなのあるから一般的な「愛」と同じように多様ですよね。

 

次に、代替不可能性をめぐる問題について。そのまんまですが、代替が不可能だよね〜って話です。

 

「推す」という言葉は、拮抗する実力の持ち主がたくさんいるうちの一人として、自分はこの人を「推す」という形で使われることが一般的です。グループには歌やダンスが上手でルックスも良い人は何人もいるけど、その中から自分はこの人を選ぶよ!ってことです。

 

“相手は決して替えがきかないもののように思われるが、その理由付けは容易ではない”という点は、「推す」ことだけでなく、「愛」一般に共通しています。もうこの点だけで、「推す」ことは「愛する」ことに属されると肯定できるはずです。

典型的な恋人関係をとってみても「この人しかいない!」「この人がいないと生きていけない!」くらいのことを思うことがあるかもしれないけど、それは何故なの?という答えは簡単に出せないと思います。「推す」こともまた、「推しが居なくなるなんて考えられない!」「この人の代わりなんていない!」と思うけど、その理由も簡単には示せないと思います。この共通した点を見て、筆者は「愛」と言えると論じています。

 

3つ目として、「推し」とファンの関係のあり方について。


恋人や友人との親しい人間関係として典型的なものと、アイドルとファンの関係とは、様々な点で異なっています。アイドルとファンの関係は一対多であって、相互的なやり取りも限られています。恋人や友人とは会って話したり、離れていてもLINEや通話をすることが容易に出来るけど、アイドルとファンはそうもいきません。

このような点でアイドルとファンの関係の特異さを感じます。

 

アイドルとファンの関係には、アイドルのパーソナルな部分が、アイドルとファンの間で共通認識となっていて、定期的にライブという場を共有しているという状況があります。好きな食べ物を知っていたり、どういう性格なのかをなんとなくわかっていたり…という私的な部分が共有され、ライブという公的な空間を共有している状況があります。

このような、親密な感情や時間を共有しているという人間関係が、他に全く存在しなかったということはないかもしれません。ですが、このアイドルとファンの関係は、社会や経済・技術の状況を前提として登場した、独特な形態の人間関係の一種としてとらえることができます。

 

今で言えば、テレビ番組や雑誌、ラジオ、SNSなどの様々なメディア媒体を介して、アイドルと親密な感情を共有しやすくなっています。また、定期的にライブが開催されることも社会や経済の状況を前提とした活動です。

会って話す、連絡を取り合う、などが容易に出来る典型的な人間関係と大きく異なる部分は、このように社会や経済の状況が前提にあって親密になる関係であるという部分だと思います。

 

アイドルとファンの関係について考えることはたくさんあります。

ここでは、2018年にシンガーソングライターの有坂愛海さんが亡くなったファンの追悼ライブを行ったことが話題になったと取り上げられています。有坂さんが、10年以上自分を推していた男性ファンが姿を見せなくなったことを不審に思い、調べたところ亡くなっていたことを知り追悼ライブを行ったそうです。

毎日のように、家族よりも会っていて同じ時間を過ごしていたのに、連絡先すら知らないというアーティストとファンの関係について、人間関係として不自然さを感じてしまいました。この場合、コミュニケーションを一対一でとることも多く、お互いのパーソナルな部分もよく知っていたはずなのに連絡先も知らないという、このような関係ならではの特殊さを感じました。

 

4つ目は、道具化・客体化(消費)をめぐる問題。
ここでは、「推す」ことがアイドルその人自身のためではなくて、ファンである自分たちの欲望を満たすために、その人に肉体的・感情的な労働を強いて消耗させているといった意味合いの「消費」という言葉について考えています。

この「消費」という言葉、オタクからしてもアイドルからしてもあまり気持ちの良くない言葉だと思うのですが、市場としてはこの表現が一番適切なのかな〜…?あまり良い気分ではないですね、オタクなので。

 

「推し」とファンの関係が単に消費することで成り立っているのであれば、それは愛情関係であるとは言い難いです。

この関係は常に「消費」をするだけの関係ではないように思えます。典型的な人間関係では、相手に思いやりを持って接し、関係を深めていくことが多いと思います。こういう、お互いが相手のためを考えて行動してやりとりを重ねていくということが、アイドルとファンのこの関係においても可能です。

これは愛情関係を築いていくことが可能な関係といえる理由になるのではないか、と論じられています。

 

前にも述べている通り、オタクの間には『リア恋』という言葉が存在するくらいです。そりゃリアルに恋してるんだから、自分の欲望のために推しに肉体的・感情的な労働を強いて、欲望を消耗させることもあるかもしれません。でも、推しは推しなので、好きなので、相手のことを思って、嫌なことはしたくないし嬉しいことは出来たら良い気持ちだなぁと思うと思います。

アイドルって人気商売だし、人生そのもの、その人自身が売り物であるわけだから、消費されることは仕方のないことなのかもなぁ。と、思う一方で、やっぱりアイドルも一人の人間なんだから思いやりをもって接するべきだなと、すごく思います。

前髪ありの方が好き〜!短髪の方が好き〜!髪黒い方がよかったな…。髪早く切ってくれ…!センターパートやめてくれ!とか、髪の毛のことひとつとっても、アイドルに対して不満や欲望を持ってぶつけることがある(できる)と思います。でも別に最終的には、「本人のしたいようにしてくれればいいよ、まあ私はこっちが好きだけどね!」くらいの感じになると思うんですよ。消費対象だからどうしても自分の好きなように成ってほしいと願ってしまうこともあるけどね。

愛ってそういうことですよねきっとね。知らんけどほんとに。

 

最後に、金銭の介在について!やってきましたよ皆さん…金銭の介在について…やだね〜…(笑)誰もが目を逸らしたくなることですけども…。


ここでは、「推す」ことを「愛」と見る考え方に対するありがちな疑義として、「推し」とファンの関係に金銭の授受があるということが挙げられています。この点に「愛」にふさわしくない不純さを感じる人も少なくないはずです。

けれど、大量のCDを購入して握手券を得ることについて考えても、「お金を使うこと」をファンができる一番の応援として、最善の選択しとして、選び取らざるを得ない状況にあると考えられます。

CDの売り上げを伸ばすためにも、推しの人気を証明するためにも、多くの人に名を知ってもらうためにも、どうしても金銭が介在します。「お金を使うこと」が応援において最善のスタイルになることは間違いないと思います。

この点から、“相手のためになることを考え抜き選択している態度自体は「愛」と呼べる”と論じられています。

 

今は「会える」形式をとっているアイドルも多く、握手会などの接触イベントで話すことや、オンラインミーグリと呼ばれるビデオ通話のような企画、SNSでのコメントやメッセージでのやりとりなど、一対一でコミュニケーションをとれることが多くあります。

また、ライブでもパフォーマンスを見せるアイドルとペンライトやうちわを持って応援するファンでは、ある意味でコミュニケーションをとれていると思います。このような金銭の授受はあるものの、時間や感情を共有することで互いのことを思い行動していると考えられると思います。つまり上に従うと、愛情と言えるということです。

 

おわりに、筆者は「愛」について、“人々が価値を見出す人間関係には様々な形があり、それぞれ違っている。他の誰かにとって大事な何かがあるという可能性を認識すべきであり、「愛の形は星の数ほどある」というごく当たり前の事実を伝えたい”と記しています。

 

ここまで書いた全てのことを踏まえて考えると、アイドルとファンの関係は「愛」そのものといえるのではないかと私は思います。もう既に私はオタクなので「愛」そのものなのは分かり切ってることですが、論理的に説明するのは難しいものですね。

誰が誰を好きになっても、それがどんな愛のかたちでも、誰も口出しできるようなことではないと思うし、そこに互いを思う気持ちがあればなんでもいいと思うんですよね〜。

だからアイドルとファンの関係は「こうであるべきだ」と決めつけてしまうのではなく、愛情関係の一種と考え受け入れていくことが大切なのかなと!そういう結論で締めくくりたいと思います(笑)。

 

難しい単語ばっかりだし、結局何言ってるかわかんないし、まとまらないし、読みにくくてすみません。ここまで読んでくれた人ありがとう。好きです。これも愛。

 

う〜ん、まあよくわかんないけど、好きなら好きでそれでいいんじゃない?愛のかたちはそれぞれでいいんだよ!みんなも自分なりに推しのこと大切に推していこうね!って話でした多分。

 

明日は某9人組ミクスチャーユニットのライブなんだ〜。楽しみすぎて眠れないな。明日は自分なりに愛をぶつけに行ってきます!それでは。

 

「脱退」より「卒業」推し

 

おはようございますみなみです。

今日はとき宣を聴きながら書いてます。最近のお気に入りは『GAMUSHARA』。

 

そんなことはさておき、前回に引き続き今回も『アイドル論の教科書』を読んで内容の要約とか思ったこととかいろいろまとめたのを、更にまとめて残しておこうと思います。

 

今回は、「第2講:アイドルと「卒業」を考える」。この章ではアイドルの卒業、脱退システムやそういった言葉が使われるようになったワケなど、アイドルの「時間」について論じられています。

アイドルを好きでいたら、卒業や脱退って誰もがぶち当たる壁みたいなものだし、なかなか難しい問題だよなと思います。そんな難しいことについて語られてるのがこの章!

 

「卒業」と「脱退」という言葉について。まずアイドルにはメンバーが活動を休止する際に「卒業」という表現をする場合と「脱退」という言葉を使う場合がそれぞれあります。

そもそも『広辞苑』によれば、「卒業」は 一つの業を終えることとされていて、対して「脱退」は、いったん加入した団体などから抜けることと定義されています。この定義に従えば、どのアイドルにも脱退の言葉が使われるべきなのではないかということです。

じゃあみんな「脱退」でいいじゃん!なんでわざわざ「卒業」なんて言うの?となってきます。ここでは、その答えは、卒業自体が近代日本の学校空間で儀式化され、美化されてきたためだとされています。

 

「卒業」という言葉が意図的に持ち込まれ始めたのはおニャン子クラブ。意味が「脱退」であっても、みんなを卒業という言葉でまとめて送り出すことで、祝福と別れ涙を演出していたそうです。

この「卒業」システムは、おニャン子クラブが芸能界に与えた最大の発明品であると言われています。

 

そして、おニャン子クラブは全員に「卒業」が使われましたが、卒業と脱退が明確に意識されて使い分けられたのが、モーニング娘。です。

男性とスキャンダルを起こすなどで辞めていくメンバーに対しては「脱退」それ以外は「卒業」。

こうやって見ると完全に「卒業」が美化されてるのがわかりますね。意識して使い分け始めたことから、「脱退」って言葉がネガティブに聞こえるようになってしまったのかもしれないけど、それ以外にも「脱退」が前向きじゃない理由が挙げられてます。

 

それには、

①“線分”的な時間

②“直線”的な時間

③“反復”的な時間

④“円環”的な時間

この4つの種類の時間が関係しているみたいです。

もう何言ってるかよくわかんないですね。これほんとに文系扁なの?って思う言葉遣いですけど…まあいいか…。

 

①“線分”的な時間

これは「卒業」という言葉が使われる時間です。始まりと終わりが存在する時間のこと。卒業は入学に始まる時間の終わりなので、線分的だといえます。

「卒業」を掲げた瞬間、アイドルとファンの双方に時限装置が起動するとされています。

 

アイドルがアイドルになってから辞めるまでを始まりから終わりと考えたら、たしかに線分で表せられますね。

本中では、AKB48は「卒業」という言葉が多く使っていて、線分的な時間だと述べられていました。それはきっとAKB48というグループ自体がメンバーにとって通過点であって、始まった時点で卒業が想像されているからなのだと思います。

 

②“直線”的な時間

これは「脱退」が使われる時間です。ずっと続いている時間(直線)からの途中離脱ということです。このような考え方が出来るから、脱退がネガティブに見えてしまうのだと思います。

例として、ももクロ早見あかりの脱退が挙げられているんですが、とても理解できるなぁと思います。早見あかりが脱退を発表した当時、ももクロは紅白出場に向けて夢に向かって進んでいる真っ最中でした。その中での離脱は「卒業」より「脱退」という言葉が合うなと思います。

 

言い方が良くないけど、叶うか叶わないか分かんない夢に向かって進み続けているのは、始まりの地点が明確であっても終わりの地点は見えないから、直線的だと言えるのだと思います。


③“反復”的な時間

さくら学院がこれに当てはまると挙げられていました。芸能事務所アミューズに所属するタレントで形成されるこのグループの最大の特徴は「成長期限定ユニット」のため、義務教育終了の中学3年生の3月で卒業するというものです。

「卒業」が制度として存在しているということは、これは「卒業」を反復の時間にしてしまっていると論じられています。

 

「卒業」というゴールが決まっていて見えているからこそ、ファンもアイドルもその中の時間を大切に過ごすことが出来るのはすごく魅力的なことだと思います。でもあんまりこういうアイドルグループは例を挙げられるほどいないんだな〜とも思いました。プロデュース側も難しいだろうからこういう反復的な時間を描いたアイドルはあんまりいないのかな。

 

一度好きになったアイドルにもう二度と会えないとかパフォーマンスを見れないとか、メンバー編成が変わってしまうとか、悲しいなって思うけど、本当はどうなんだろう。決まってないだけでどのアイドルもいつ会えなくなるかわかんないもんね。もしかしたら、この反復的な時間の方がアイドルにもファンにも優しい制度なのかもしれないな。


④“円環”的な時間

私立恵比寿中学の、『永遠に中学生』というコンセプトが円環的であると論じられています。エビ中では、卒業でも脱退でもなく、「転校」という表現がよく使われています。これは、転校という出来事は学校生活で不可避の制度であるからだと筆者は述べています。

 

永遠に中学生だから脱退でも卒業でもなく、ぐるぐる回っているような円環的になっている時間の中で転校するという表現がぴったりなのだと思います。

まあぶっちゃけこれに関しては無理矢理だなって思いますけどね。例外が過ぎません?(笑)私が知ってるアイドルでは円環的な時間の中で活動してるのエビ中しかいないんですけど、他に居たら教えてください…(他力本願)

 

例外といえば、例外に近い感じでももクロの活動スタイルが挙げられていました。

紅白出場が叶ったももクロの次の夢は国立競技場でのライブと発表されました。もう叶いましたね、すごい。本が出版されてから今までの間に夢がひとつ叶っているの、めちゃくちゃすごい。

オタクのあまり(?)話が逸れてしまいましたが、ももクロは積極的に夢の共有をファンとしています。ももクロは前に記した通り、直線的な時間の中にいます。けれど、夢の共有をすることで、「夢」という終わりが生まれます。その瞬間、「夢を発表した地点」を始まり、「夢が叶った地点」を終わりとした線分的時間が出来上がるんです。

設定された夢に向かってアイドルとファンが一丸となって進むことで物語を共有することになります。ももクロは、直線的な時間の中でたくさんの線分的時間を作って、夢として共有していることが強みとなっているんだと思います。

 

こんな感じで、大きく分けると4つだけどその中にも分けて考えることができるし、色々なパターンの時間認識があるんだなぁと知ることができました。

 

これを踏まえて、筆者は「自分が好きなアイドルはどうなの?とか、応用扁として考えてみて」とのことです。そこで例として本誌に書かれていた課題は「ジャニーズには卒業制度がないのはどうして?」というもの。

 

いや〜わかんないね。たしかに脱退は耳にするけど卒業って聞いたことないなぁ。前に説明されていた時間認識で考えてみると、ジャニーズのアイドルグループは「直線的な時間」に当てはまるってことですよね。

ひとつ絞り出して考えられることは、女性アイドルには終わる見込みがあるけど男性アイドルにはないということなのかなと思います。ジェンダーの話に繋がってきちゃうけど、社会的に見て女性は結婚し出産して仕事を辞める人もいる。

育休や産休制度が今はしっかりしてきているので古い考え方だろって思うかもしれないけど、アイドルに対して求められるようなジェンダーロールは古臭いものなので…

女性が結婚してパートナーが出来て、出産してママになると、女性アイドルに求められる要素がなくなっていってしまうんだと思います。このアイドルに求められる要素については今後書いていくことになると思うのでとりあえず流しておきます(笑)。

それに対して、男性は結婚して家庭を持つこと自体が男らしいと見られることもあるし、そもそも男性アイドルに求められているものは(アイドルだけじゃなくて一般男性にも共通する)歳を重ねるごとに魅力として現れてくるのではないかと思います。

だから、女性と男性で考えるとしたら女性が「線分的時間」で男性が「直線的時間」に当てはまるのかな。男性アイドルの代表格であるジャニーズには卒業制度が存在しないのは、直線のように終わりが想像されにくいからっていうのが理由かな〜と思います。まあわかんないけどね!

 

アイドルには、「この人アイドルになるべく生まれてきたな〜」と思うくらいアイドルな人がいるけど、その人ですらも生まれた時はアイドルじゃなかった訳です。ということは、何処かのタイミングでアイドルになって、もしかしたら辞めていくかもしれない。前の記事にも書いた通り、一人の人生を追っているのがファンだからそのタイミングにぶつかる可能性は絶対にあるんだよなぁ。だからこそ、線分的時間とか直線的時間とか、そういった言葉でグループを表すことが出来るんだと思いました。

アイドルって言い過ぎだしアイドルって言葉、形容詞にもなるのすご。

 

今回の章読んで、推しにはずっとアイドルしててほしいって気持ちは変わらないけど、辞める時はせめて「脱退」じゃなくて「卒業」であってほしいなって思いました。グループの夢が叶うまで居られなかったとかそんなのこっちからしたらどうでもいいので(笑)。あなたがアイドルをしてくれていることで、毎日助けられてる人がいるんだよ!と思うので、どんな理由でどんなきっかけで辞めることになろうと、みんな「卒業」でいいのでは?残されたメンバーのことを考えたら「脱退」が救いになるパターンもあるのかもしれないけどね。「脱退」がポジティブに捉えられるようになるのはもう難しいと思うので、アイドル界から「脱退」という言葉が無くなってしまえばいいな!

 

めちゃくちゃボリューミーになりました。ここまで読んだくれたあなた、4300文字も読んでますよ。ありがとうございます。

 

今を大切に、推しはいつまでもいるものじゃないと心に刻んで毎日生きていこう。楽しいのが一番!

 

お腹空いたので朝ごはん食べてきます。今日は東リベ観に行くんだ〜!そして今日こそは絶対勉強するんだ。長々とお付き合いありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

アイドル市場の消費者側意見

 

やっほーみなみです。

暇かと思われるくらいブログ書いてるな…ある時パタリと更新無くなりそうだなぁと思います。まあ大目に見てください。

 

ちなみに卒論の準備段階をここに残しておきたいと思ったのは「アイドル研究してるんだよね〜」って軽く話をすると、卒論絶対面白いから読みたい!って言ってくれる人が周りに多かったっていうのもあります。面白そうって言ってくれるの、嘘でも嬉しい。

あとこれ読んで感想とか考えたこととか伝えてくれるのめちゃめちゃ嬉しい。楽しい!ありがとうございます。

 

本題ですが、今回は『アイドル論の教科書』という本について。この本は、アイドル文化の楽しみ方を教えてくれるアイドル研究のための入門講義をまとめたものとして売られています。

 

社会学や文化研究などの文系学問を専門とする塚田修一、建築や数学の理系学問を専門とする松田聡平が執筆しています。そのため、半分は文系扁とされていて、アイドルに関係する「国語」「歴史」「卒業」について文系的な解釈を基に論じられています。もう半分は理系扁として、「アーキテクチャ」「数学」「都市空間」について論じられています。

 

全部読んだけど、自分って理系脳じゃないんだな〜って改めて思いました。何言ってるかわかるようでわからん。

 

なのでまずは読みやすくわかりやすかった文系扁から…今回は、「第1講:アイドルと国語を考える」から5つ目のテーマになっている「”関係性”を志向するファンたち」について。

ここでは、「女性による男性アイドルグループの消費」と「男性による女性アイドルグループの消費」またそれと「女性アイドルの女性ファン成立」についての関係性について論じられています。

 

著者は、研究者である吉澤夏子の見解を分析しながら、「女性による男性アイドルの消費」と「男性による女性アイドルの消費」は大きく違っていると論じています。

それは、女性が男性アイドルに求める大きなもののひとつがグループのメンバーの仲の良さやグループ性であるが、男性が女性アイドルに強く求めるものはメンバーとの1対1の関係性であると主張しています。

 

AKB48グループの握手会は、「接触」や「認知」によって、まさにその欲望・志向を満たすものとして観察することができる。”

ももいろクローバーZ私立恵比寿中学の“女性ファン”を観察していると、分裂や亀裂をはらまない「安全なファン同士」で、メンバー間の関係性に志向するコミュニケーションが見いだせる ”

 

この二文が著者の主張をわかりやすく表していて、AKB48グループは、握手会などのアイドルとファンが直接コミュニケーションをとれるイベントを多く開催してます。だからアイドルとファンの関係性を作り出しやすい形になっているんじゃないかなと思います。そのため、前の主張によると、『男性による女性アイドルの消費』が行われているといえると思います。

 

その一方で、女性ファンを多く獲得しているとされるももクロは、握手会などの接触系イベントを行っていないことから、「接触」以外の楽しみ方を見出していて、メンバー同士の関係性を志向する消費が起きています。

これを考えると、女性による女性アイドルの消費は、『女性による男性アイドルの消費』と同型であるといえるのではないかなと思います。

 

近年様々なアイドルが世に出てくるようになったことで、ファンの在り方も変わってきたのだということも頭に入れておかないと同感することが難しくなってくるんだろうなという気持ちです。

 

やっぱり「接触」や「認知」を第一の楽しみにしている男性アイドルの女性ファンもいれば、ライブを第一の楽しみにしている女性アイドルの男性ファンもいるはずです。

それによってか、今はそれらの客層を幅広く取りこむために、接触イベントやライブなどの活動を均等にする男女のアイドルグループが増えてきたように思います。

 

例えば、欅坂46などの坂道グループは男性ファンも女性ファンも多くいると思います。(統計結果などがないので断言はできないけどね)ライブも握手会も定期的に行っていて、接触を楽しむ男性的な視点でも、グループ性を楽しむ女性的な視点にも需要があるから、ファンの層が広くなっているんじゃないかなと思います。

 

でも、男性アイドルであるBOYS AND MENは、どちらも多く開催しているけど女性ファンが圧倒的に多いです。それは現代に至っても、“女性アイドルの女性ファン”と“男性アイドルの男性ファン”では消費のかたちが違うからなのだろうと考えられます。

 

ここでは欅坂やボイメンを挙げたけど、今は地下アイドルとかも男女ともに爆発的に増加してることを考えると性別でどうこうって問題じゃないのかな〜と考えさせられます。だって私が某ツヨシフルカワさんのオタクをしている中ですら、「わーい接触最高楽しみ!」メンタルのときもあれば「ライブしか勝たん…!」なときもあるわけで。

性別とか関係なく、自分がどういうことをアイドルに求めているかで惹かれるアイドルも変わるし、どんなスタンスで推していくかも決まるんじゃないかなって思います。「応援したい!支えてあげたい!」「好き!この人とどうにかなりたい!」「顔が好きなのでメディアで見れれば十分!」などなど、推すスタイルは人それぞれなので、色々変わってくることがあるなと思います。

 

これまた後に書くことになると思う題材だけど、アイドルに惹かれる人は未熟だったアイドルが育っていく、その成長過程を楽しんでいるんだよなって話があります。前に書き記したことを踏まえてこのことを考えると、ファンはひとりの人の成長過程を含めた人生そのものを消費しているということになると思うんです。そりゃ消費対象(推しのことここではそう呼ぶけど)の言ってることがコロコロ変わってくるのも当たり前だよな〜と思えちゃいますね。だって生きてる上で考えって当たり前に二転三転するからね。

もうこれオタクの日記じゃん……まあ始めからそうなんですけど……

 

一旦キモいのやめたいので締めます。アイドルを男女別にして消費の仕方を考えることで、自分も感じることがたくさんあるな〜と思いました。いい機会でした。

推しが仕事のやる気なくなることもあれば、ネガティブだなと思うときもあるだろうし、なんか最近遊んでんな…と思うことも、恋人ができることもあると思うけど、許容範囲を広くすることで自分も傷つかないし推しのことも傷つけないで済むんだろうなぁ。でも長く続けててほしいからやめてほしいって思うこともあるんだけどね、愛ゆえ。というオタクの戯言でした。

 

次回はねこれの続きかな〜

「第2講:アイドルと「卒業」を考える」について!面白そうだね!

 

そういえば記事の中で本からの引用部分とかあるので一応文献書いておきます。私用だから許してほしいわ。

アイドル論の教科書

出版社 青弓社 (2016/11/1)

著者 塚田修一/松田聡

 

では!お腹空いたのでご飯食べてこよ〜!生活リズムがニートなのでさっきまで寝てて、これからまた就寝したい感じです。おやすみ。

性別とかぶっちゃけどうでもよくない?

 

二日連続で更新するなんて自身最大の快挙です。ネタがたくさんあるというか、残しておきたいものがそれなりにあるので今日も張り切って書いていこうと思います。

 

共有してみたらアイドル好きな人たちが結構読んでくれたような気がします。とっても嬉しい。ほんとに嬉しい。

ここから、ガチでそんなこと考えなくていいだろ…気楽に好きでいればいいんじゃないの…と思うようなことばっかり書いていくので注意してください。共有しといてすみません。でもアイドルを好きなみんなのことも好きなんだ〜!!!何を見るにも考えすぎてしまって楽しくなくなる〜みたいなことがないように警告だけしときます。

 

と、ここまで書いて思ったけど、好きすぎてそんなことでアイドルとか芸能人から離れられる体じゃないよね……ごめん知ってた……私もそうです。というわけで警告終わり。ぜひ読んでいってください。

 

アイドル論を考えていく上で(というか卒論を書き進めるにあたって)、アイドルのどの辺を研究していくの?って問いに対して、色々な論文を読んだりしてジェンダーとの関わりを考えることにするという答えを出しました。

教授と相談して、私の卒論の表題は『男性アイドルとジェンダーの関係性について』に仮決定!

 

今回は、卒論に向けて諸々決まってきた中で、どうしてジェンダーとの関わりに注目したの?などといった自分なりの考えをまとめた過去のエッセイを、後から見た今の自分が手を加えて残そうというものになってます。

 

まず、前回書き記したように、私は男装アイドル・男性アイドル・女性アイドルを好きになったことがあり、イベントやライブなどのいわゆる「現場」に足を運んだことがあります。そこで、どの現場でも、アイドルによって応援する人たちの色も違うなぁということに気付いたわけです。

 

そのことから「どのようなアイドルにどのようなファンが多くいるのか」について考えようとしたところ、ジェンダーという言葉が関わってくると思いました。

男装アイドル・男性アイドルは女性(ここでは異性と表現する)のファンが多い。女性アイドルは男性のファンが多い。けれど、どのアイドルにも数に違いはあれど、同性(男女どちらのファンも/ここでは同性と表現する)のファンが存在しているなぁと思います。

 

更に、「アイドル」とは女性のことを指しているという世間一般的な固定観念からか、ジャニーズ以外の男性アイドルは女性アイドルに比べて注目されにくいように感じられます。アイドルといったらかわいい女の子!みたいなイメージが昔から継続して今も大きくある気がします。

そこで、「どうして男性アイドルは女性アイドルに比べて人気が出にくいのだろうか」という疑問から、アイドルとのつながりが強いと思う『ジェンダーロール』について調べて考えてみようと思います。

 

まずは言葉の意味について詳しく。

 

ジェンダーロール(性役割

社会生活において、性別によって固定的な役割を期待されること。社会的性差を意味している。「男だから、めそめそしない」「女だから、おしとやかにする」などの行動規範に従って行動するとき、その人物は性役割を演じているとされる。男らしさ、女らしさというのはその人の持って生まれたものではなく、社会や文化の求めてくるものであり、時代や場所によって変化するものだという。

 

まあ簡単に言えば「男の子なんだから泣くな!」とか「女を守るのが男の役目だ!」「女の子なんだから綺麗な言葉遣いにしなさい」みたいな、性別によって役割が定められてしまっているようなことです。ぶっちゃけこの辺に関しては、ホルモン的な体格差とかもどうしても生まれてしまうので「そう思う人が悪い」みたいなのは無いと思うんですけどね。にしても強要は良くないよな〜

 

話が少し逸れましたけど、ある記事の中にこんなフレーズがありました。

 

“「アイドル」は、異性のファンに好まれるために、偏った「男/女らしさ」をあえて演出している点、ファンのなかには「アイドル」を擬似的な恋愛の対象としてみている者がいるがゆえに、過度に性的にふるまうことを強いられ、搾取されている点が特に「女性アイドル」に向けて批判されてきました。”

ジェンダーの視点から「アイドル」文化を考察することを通じて』https://academist-cf.com/journal/?p=12821

 

本当、確かにな〜と思わされる文です。男性アイドルであれば「女性が求める男性像」を演じる方が女性をターゲットにし、ファンとして取り込みやすいと思います。やっぱりアイドルも職業だし、バックには企業がついてるので経済回していかないとどうにもならないので、ターゲットを決めてお客様を効率良く取り込んだ方がいいですよね。

でもこの戦略自体が「男性アイドルが女性アイドルよりも注目されない」ことの理由にも繋がっていると私は思うんです。それはきっと「社会的に女性が男性に求める男らしさ」と「擬似恋愛を生じさせる男らしさ(女性が男性アイドルに求める男らしさ)」に相違点があるからかなぁと。

このことについては今後じっくり考えていかなきゃいけないなと思います。ので、みんなもこんな話あったな〜って覚えておいてください。(笑)

 

女性アイドルに関してはこの記事でもある通り、ジェンダーロールによって「社会で求められる女性らしさ」を前面に押し出しているグループや個人には異性からの人気が出ているなぁと感じます。

逆に、女性らしい振る舞いを売りにして出していない女性アイドルには、同性のファンも多くついています。(ここでいう「女性らしさ」というものがはっきりとどんなものかは検討していくとして)

 

例えば、坂道グループの中でも乃木坂46はニコニコ笑顔でふわふわの衣装を着て、楽曲も優しく柔らかい印象なので男性ファンが多く見られるように思います。

櫻坂(欅坂)46は、楽曲も強く鋭い印象でパフォーマンス中はあまり笑ったりせずかっこいい姿を見せてくれます。そんな櫻坂46には憧れを抱いた女性ファンが多くいるように思います。

 

https://www.nogizaka46.com/

https://www.hinatazaka46.com/

https://sakurazaka46.com/

乃木坂・日向坂・櫻坂の公式HPを見てもらえれば一目瞭然なんですけど、それぞれの色が出ていて、ターゲットが少しずつズレているのかなとも思えます。考えすぎのような気もするけどね。だって大体男性をターゲットにしてるのは考えなくてもわかるし!でもまあ強いて言うならみたいな感じで。

 

そして度々出てきますが、男装アイドルの風男塾は、女性アイドルのみが出演できるとされているTOKYO IDOL FESTIVAL(通称TIF)に出演しているし一応女性アイドルという扱いで活動しています。

それでも、男装をして男らしく振舞いそれを売りにして活動しているので、ファンの層は男性が1割、女性が9割です。

こういうことを考えると、実際の性別はあんまり関係なくて、ジェンダーロールという概念とそれを演じているとされるアイドルの関係はすごく強いものだと考えられます。それでも、実際の性別の姿(演じている中の人)に惹かれて応援している一定数の男性ファンもいると思うので一意に言えないんですけどね。

 

ここまで考えてみて、どんなコンセプトや振る舞いを大切にしているアイドルグループがあって、どんなファンがいて、どのぐらい人気があるのかを考えていくためには、様々なアイドルについて知ることが大切だなぁと思います。

そして、アイドルが社会的にどのような立場でどのような役割を果たしているのか考えることも、ジェンダーとの関わりを研究していく上では重要になってくるだろうなと気付き始めました。

 

こういうエッセイみたいなのを書いてる中で、異性とか同性とか男性とか女性とか限られる言葉を使いたくないな〜という気持ちがめちゃくちゃあるんですが、もうそれに関しては仕方ないと思うしかないのかな…という感じです。気になるよなぁ。そういうのも考えると、もうジェンダーとか関係ねえな!好きなモンは好きなんだよ!という精神になってきます。実際そうなんだろうな。いくら論理付けたって、性別そのものは関係ないんだろうなと思います。

 

ただ、アイドルが演じて見せる上で、性別という括りでカテゴライズすることですごく容易にターゲットを絞れるから、どうしても関わってきちゃうんだと思ってます。

私は自分が男でも女でも性別がなくても分からなくても何でも、人間じゃなくても、虫けらでも、アイドルを好きになってただろうなと思いますけどね!だってかわいいし…

 

こうして少し考えるだけで、課題がどんどん増えていく私でした。ジェンダーがなんだって少し疲れたので、次回は『アイドルの教科書』という本を読んで考えたことでも書こうかなと思います。

 

まじで頑張ってこ〜

前回の記事で人生のために寝るとか言ったのにあの後友達とお酒飲んできてしまったので、今度こそ明日のために寝ます。本当寝ろ。おやすみ世界!

アイドル戦国時代に育った私

 

こんにちはみなみです。

もう最初のブログを更新してから半年ほどが経とうとしてますが元気にしてますか?

私は喉が痒くて目が覚める毎日だけど元気です。

 

早速本題。大学のメイン・サブカルチャーを研究するゼミに所属しているので、対象をアイドルに絞って研究を進めてます。毎週書かなきゃいけないエッセイの行き場がなくて困ってるので、とりあえずこのブログに保管しようかなぁと思ってます。というわけでここからアイドル論に関して書き進めようと思います。

 

今回はまず私がアイドルについて研究したいと思ったきっかけまとめをしてこい、と後期前半に課されたエッセイを軽くまとめて残しておこうと思います。

 

 

遡ること約10年…私がアイドルに興味を持ったのは小学6年生のときに兄がももいろクローバーの動画を見せられていたことがきっかけ。

自分より少し年上のお姉さんが元気に踊って歌っているのを見て、「キラキラしていてかわいい」と純粋に思いました。それからはももクロの曲を流しながら朝支度をして、学校で近くの席の友達にやたらももクロの話をし続け、学校から帰ってきたらYouTubeで動画を見漁る毎日を過ごしていました。

 

 

その後、ももクロと同じ番組に出ていた風男塾という男装アイドルグループに出会い、惹かれました。風男塾は『人を元気にする』をコンセプトに活動しています。風男塾を好きになってすぐに、中学で一番仲の良い友達が不登校になってしまったこともあり私は自分を責めたり落ち込んだり…今となっては悲劇のヒロインぶってたな~と思います。でもそのときはなかなかつらくて、風男塾の楽曲に助けられたのを今でも覚えてます。音楽って偉大だなぁ。

高校生になっても風男塾の握手会やライブに行くためにバイトを始めたり、ファンレターを書くために字を上手く書けるように練習したり、アイドルを原動力にして生きてきました。めっちゃかわいいですね。

 

その後若手俳優を好きになったりして、巡り巡ってSUPER★DRAGONという、なんともグループ名が個性的な男性アイドルグループに出会いました。

 

男性アイドルを好きになったのは初めてだったので、初めて知ることが大量にありました。諸説有りではあるけど「ジャニーズ以外の男性アイドルは音楽番組に出られない」「アイドルというジャンルに属してしまうと攻撃されるから”非アイドル”や”ダンスロックバンド”などと新しいジャンルを確立している」など。

 

ちなみにSUPER★DRAGONは“ミクスチャーユニット”です。正直、アイドルはキラキラしていてかわいくてかっこよくて~という部分しか見てこなかった私にとっては闇が深すぎて驚愕でした。

 

そしてやっと「なぜアイドルについて研究したいと思ったのか」に繋がります。お待たせ。

ここまで綴ってきた通り、自分の人生に寄り添ってくれたといっても過言ではないアイドルについて研究してみたいと思ったから。各アイドルの活動の場とそれに応じたファンとの関係性、ジャニーズ、ジャニーズ以外の男性アイドルの始まりはなにかなど、アイドルを好きでいる数年間で疑問に思ったことの答えが、アイドル史を学ぶことでわかっていくのではないかと思ったから研究題材に選びました。

 

研究したいと思ったきっかけ書くだけなのに長すぎ。まぁ長いぞ。オタク故に自分語り・好きなもの語りが好きですみません。ほんとに、すみませんと同時に、ありがとうございます。

 

「人を応援する」ことが「自分の原動力」になっていた私は、いつしか「自分の原動力」のために「人を応援する」ようになって、そのこと自体が私の人生においてかけがえのないものになっていたのだと気付きました。依存と言っちゃえばそれまでですが、応援する対象のため!と言うよりは、自分が楽しいから!自分のため!みたいな感じだから依存とは少し違うのかな〜と。まあそれがオタクってものなのだと思います。

 

また今度詳しく書くことになると思うけど、アイドルの存在こそが現実で頑張る人を応援してくれるような媒体になってきているから、原動力にすらなるのだと思います。それが現代でアイドルが爆発的に売れてる理由だとも思う。

 

 

好きって気持ちだけでアイドルを研究題材にして毎週真面目に論文じみたエッセイを書いてる私、まじでスゲェなと感心する。この世の事象・物体・概念なんでも研究対象になるんだな〜

 

いやぁ長い。ここまで読んでくれたあなたありがとう。アイドルのこともっと知りたくなりました?

次回はおそらく、卒論の表題にしたジェンダーとアイドルの関わりについて。なんか難しいこと言ってそうに見えるな

 

卒業に向けて頑張ります。その前に人生のためにお風呂入って寝ます。おやすみ。