アイドルとメディアについて考えてみる

 

昨日、二回目のコロナワクチン打ったら熱が上がっちゃってちょっとしんどいみなみです。五分に一回くらい、死ぬ?って思うくらいの動悸がきます。生きてます。

 

まあそんなこんなで今回は『アイドル国富論』の中から第一章「アイドルのメディア産業論」を読んで、気になった部分をまとめていきたいと思います。

この『アイドル国富論』は、筆者が「アイドル」と「日本経済」の歴史と現在をつなげることで、「変わらなかったもの」「日本社会が求めている経済と社会のかたち」を考える目的とされています。

 

今回は各単元をまとめつつ、世に溢れるアイドルグループとの比較もしていけたらな〜と思います。応用編ということですね!頑張ろう!まあ大目に見てください。

 

 

まず、確立された「アイドル」とはなにか。特に現代には「アイドル」と呼ばれる人が多くいるので、いちいち定義を改めて例外はアイドルではないとは言えないと思います。でも定義が曖昧になってしまっているので一旦、こういうタイプがあるよ〜という紹介をしています。ここで言う「アイドル」はどういうものなのかについてです。

 

ここでの「アイドル」の定義は、1970年代のステロタイプを指しています。その条件は、

①18歳まで(できれば10代半ばまで)にデビュー
②歌手である
③歌唱以外の様々な領域(テレビドラマ、バラエティ番組、映画作品等)でメディアをまたいで活躍している
④総じて目の覚めるような美貌や素晴らしい声と歌唱力、演技力といった実力に恵まれていない

というものです。

 

また、それに対して『アイドルの「プロトタイプ」とアイドルの大量生産』という単元の中では、「新三人娘」や「花の中三トリオ」の活躍は世間に「アイドルとはこういうものである」というプロトタイプを確立したと論じられています。

そのプロトタイプとは、

①ローティーンからミドルティーンの卵がテレビのオーディション番組などを経てアイドル「歌手」としてデビューする
②ベストテン番組を中心とした歌番組に出て認知を上げる
③ドラマ・映画やバラエティ番組などメディアを跨いで活動して人気アイドルとなる
④人気が消えないうちに大会場で引退コンサート、引退を果たせると理想的

というものです。

 

色々なアイドルがいますが、既存のグループでステロタイプとプロトタイプの比較をしてみようと思います。

 

スパドラ(某要らんだろ)をここでのアイドルの定義に当てはめるとすると、大々的にオーディションで選ばれ結成されたわけでもなければ、歌番組で認知を上げるような活動もしていないので、「ステロタイプ」に当てはまると思います。

 

①18歳まで(できれば10代半ばまで)にデビュー
→2015年に当時11歳(小学5年生)から16歳(高校2年生)の9人で結成され、CDデビューしている

②歌手である
→ダンス&ボーカルユニットである

③歌唱以外の様々な領域(テレビドラマ、バラエティ番組、映画作品等)でメディアをまたいで活躍している
→メンバーによって差はあるけど、バラエティ番組にレギュラー出演しているメンバーやテレビドラマ・映画で活躍しているメンバーもいる

④総じて目の覚めるような美貌や素晴らしい声と歌唱力、演技力といった実力に恵まれていない
→歌もダンスも上手だなぁとは思うけど、別に総じて目の覚めるようなレベルのものではない

 

プロトタイプはというと、ところどころだけどジャニーズとかの国民的アイドルって呼ばれるようなグループが当てはまっているのかな?と思います。例えば、2020年に活動休止した嵐で考えると、

 

①ローティーンからミドルティーンの卵がテレビのオーディション番組などを経てアイドル「歌手」としてデビューする

→ちょっと外れてるけど、ジャニーズJr.という存在があるのであながち間違ってはいないかなとも思う
②ベストテン番組を中心とした歌番組に出て認知を上げる

ミュージックステーションMUSIC DAY、FNS歌謡祭など大きな音楽番組には必ず出演している
③ドラマ・映画やバラエティ番組などメディアを跨いで活動して人気アイドルとなる

→ドラマや映画の主演を務めたり、冠番組を持っているメンバーもいる
④人気が消えないうちに大会場で引退コンサート、引退を果たせると理想的

→人気が消えないうちに、活動休止発表してコンサートを行った

 

まあまあ無理矢理な気もするけど、ステロタイプとプロトタイプで大きく分けるとこんな感じかなって思います。アイドル業界もいろいろ試してみてるんですね。

 

2つ目に、マーケティングとの関係。話ガラッと変わります。

一般消費者向け商品は、マーケティングと付加価値という両面からアイドルに接近しています。

マーケティングでは、消費者の関心を引くという点で、アイドルは新たに経済的な価値を与えられています。それは、著名なアイドルの顔はそれがそこにあるだけで消費者の商品認知を上げるからだとされています。

また、単なる宣伝だけでなくコレクションアイテム的価値を持てば商品そのものの付加価値として他の商品との差別化につながっていきます。

このようにしてアイドルがイメージキャラクターに起用される商品が増えていったと言われています。

 

認知度が高いアイドルグループのメンバーは、消費者の商品認知を上げる目的として起用されることがほとんどだと思います。これはアイドルを起用することで商品側に利益があるんですよね。

一方で、あまり認知度が高くないアイドルグループが起用される事例もあります。これはグループの一定数のファンを消費に結びつけると同時に、商品とのコラボレーションを利用してグループ自体の認知度を上げているようにも思えます。

 

アイドルのスイパラコラボなどは本当によく見かけるけど、そこではコラボメニューの販売(特典でランダムコースター)やオリジナルグッズの発売がされています。

それらを求めてお店に訪れるアイドルのファンが一定数いるのでお店側に利益はあるはず。けれど、それ以外にも偶然その期間にスイパラに来たお客さんはもちろんいるので、アイドルの存在をその人たちに示すことができるはずです。

あまり認知度が高くないアイドルグループが起用されると、お店側にもグループ側にも利益があるように考えられます。お互いにとってプラスになるお仕事なんて最高だなぁと思います。

 

これがメディア産業の目線から考えるアイドルと企業のコラボ、マーケティングというわけですね。難しいなぁ。

 

3つ目に、『「ファンとの共犯関係」の発見』について!興味深いタイトルすぎるな…(笑)。


オーディション番組というメディアを経てデビューするアイドルグループは、アイドルが出始めた頃から増え続けています。

けれど、メディアがアイドルを作れるというのはやや過剰な認識であって、正確には「アイドルの候補生を作れる」にすぎません。アイドルをアイドルたらしめているのは消費者自身の認識力、創造力なのではないかと論じられています。

メディア側は、無理に消費者と相性がいいアイドルを作るのではなくて、「アイドルの卵」をそのままの状態で提供して、その創造力でアイドルを作ってもらうという策略を「ファンとの共犯関係」とここでは表現しています。

 

例として、おニャン子クラブが挙げられています。おニャン子クラブのメンバーは「夕焼けニャンニャン」内のオーディションコーナーで採用されました。オーディションに合格した翌週には番組に登場していました。その姿は素人で、彼女らが少しずつ表舞台に慣れていく過程までがファンの消費対象になっていました。

また、「卒業」システム、ソロデビュー、派生ユニットなど今では当たり前の仕組みが導入されたのもおニャン子クラブがはじまりです。

 

『「アイドルの卵」をそのまま消費者に提供して、その創造力でアイドルを作ってもらう』というスタイルについて、スターダストプロモーションにはEBiDANという俳優集団があります。

グループに無所属、またはデビュー前の研究生のことをEBiDAN39Kidsと呼び、ブログや動画コンテンツでの活動もしています。この中から結成されたグループが次々にデビューしているので、EBiDAN39Kidsを「アイドルの卵」とするのであれば「ファンとの共犯関係」が作られているのだと思います。

それこそ、BATTLE BOYSとかもまさにそうだな〜と思います。だって「アイドルの卵」にバトルさせてるんだもん。ファンは推しに報われてほしいから投票とか出来る限りの応援はするし、そういうことを通してまた「アイドルの卵」がアイドルになっていくんだなぁと思います。

 

今後書いていくことに繋がるんだけど、「アイドルの卵」を提供することで、その「アイドルの卵」の間はデビューまでの下積み期間になるってことになると思うんです。その下積み期間をファンと共に歩んで共に闘うことが、アイドルをアイドルたらしめる要因にもなっているのかなって思います。下積みを知っているからこそ成功の重みが変わるというかね。そういうのって絶対あると思うから、未熟な状態から成長過程を見せていくのはすごく考えられた策略ですよね。

ここではアイドルと共に、ファンもアイドルを創っていくから共犯って表現がされてるんだろうね。

 

 

最後に、『異性消費市場と同性消費市場』について。同性と異性のファン、どうしたらどっちがつきやすいか問題です。


松田聖子が交際・破局宣言をした直後に婚約を発表し、結婚後も引退せず出産後も、アイドルソングを廃して実力派アーティストとして活動していることを例に挙げて、ファン層の違いについて論じられています。

女性アイドルのファンは男性であることが暗黙の前提とされていたが、松田聖子を支持したのは男性ファンではなかったように思えます。疑似恋愛の対象としての「アイドル」ではなく、自分がそうなりたい対象として見る女性ファンが松田聖子を支持していました。

それは、「女性が自らの強い意志で思い通り生きていく」というドラマを体現した存在だということが1つの理由とされています。異性消費市場を基盤としながらも、同性消費市場にも支えられるという二重の市場性がアイドルのあり方の基本になってきているようです。

 

上の例から、同性からの人気は「自分がそうなりたい」などの憧れや理想からくるものだと考えられます。“「女性が自らの強い意志で思い通り生きていく」というドラマを体現した存在”という表現からもわかるように、社会的な女性像とは反した振る舞いをしている姿に惹かれる女性が多かったのだと思います。


でも、現代の男性アイドルって社会的な男性像に反するというか最早かけ離れているような気がするんだけど、同性ファンが少ないのってなんでだろう。やっぱりそこでジェンダーロール的な見方が関わってくるのかなぁ。きっと現代の男性アイドルには疑似恋愛的要素を求めている異性ファンが多いと思います。

厳しい問題だよね…女性は社会的な女らしさを捨てた方が同性人気が出るけど、男性はそうしたところで同性人気は出ないんだもんな…。社会に求められているジェンダーロールと社会で生きている人たちの願望や要望、認識がズレているからなのかなとも思いますね!知らんけど!(責任逃れ)

 

アイドルってファンがいないと活動できないので、そもそも女性に支えられてるような時点で社会的な男らしさには当てはまらないから、同性ファンが少ないのかな?ただの予想です。

 

 

さて、メディア産業から見たアイドルについて論じられていたこの章だけど、それぞれあんまり答えが出なかったな〜って感じします。ぴえん。まあこの後に繋がっていくお話がたくさん出てきたな〜って感じなのでめげずに頑張ります!

 

そろそろガチで論文に取り組まなきゃいけないっぽいよ。やだな〜。

先日スパドラのライブ行ったので感想とか書きたいんですけど語彙力もないので迷い中です。○○なつよしくんかっこよかった。の箇条書きブログにしようかな。

 

今回もまとまらず拙い文読んでくれてありがとうございました!読んだよ〜って感想送ってくれるのまじ嬉しいのでなんか思ったことがあったら送ってください。嬉しいのでね。私の喜びのために。

 

ここまで5000字です!スゲェな…

では、熱もあることだしお昼寝しよかな!おやすみなさい。